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幼児虐待

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きょうはちょっと重い話題。
子供の虐待死事件について考えます。

近年子供が被害者となる事件は増加傾向にあり,陰湿で凄惨な事件はメディアでも頻繁に取り上げられています。
弱者である子供を暴力の対象にする行為は絶対的に卑劣な行為で許されるものではありませんが,とくに怒り心頭に発するのは実の親による子供の虐待です。
小さな子供にとって親(とくに母親)は唯一絶対の守護者であって,社会にあふれる暴力から自分を守ってくれる最後の砦といっていいかもしれません。
そんな存在である親から受ける虐待が子供にとってどれほどの痛みであるか,恐怖であるか...。
ごく普通の感情をもった人間ならば,その辛さを想像するだけで幼児虐待という犯罪の本質的な残虐性に身震いするはずです。

ところで,幼児の虐待死事件が起きると,ニュースでは...虐待事件が起こったという事実,公判において検察官が論告求刑したという事実,裁判官が判決を下したという事実,被告人が量刑不服により控訴したという事実,控訴が棄却されたという事実,上告不受理により刑が確定したという事実...というように時を追って事件報道がされます。
事件発生当初は犯人がどんな非道な手口で被害者を死に追いやったかが比較的に詳細に語られたりもしますが,時間が経つにつれ次第に話題にのぼらなくなり,公判によりどのような事実が明らかになったのかはほとんど人々の関心から遠ざかって,そのうちにはまた別の猟奇的な殺人事件がスポットライトを浴びる,ということを日々繰り返しています。
そういったなか,現在,人道的見地から本邦でも死刑制度は廃止すべきとの論議がなされているところですが,しかし,凶悪犯罪の実情について日々ニュースで提供される程度の見識しか持ち合わせていない我々一般市民にとって,その問題の本質的な議論や判断はできるのでしょうか?
僕はたまたま法律関係の仕事をしているため,死刑判決もやむなしと判断される事例について少なくとも判決理由を目にする機会くらいは確保されていますが,ニュースで報道される簡単な事件概要や事実内容と,公判を経て個別具体的に認定された詳細で生々しい事実との間には相当な温度差があると感じます。
死刑制度廃止の議論はひとまず置いておくことにしても,裁判で明かされた事件の詳細な事実を知ることで,繰り返される子供への虐待という事件がいかに異常で残忍で恐ろしいものかということが,あるいはメディア報道を介して受ける印象との間にいかに温度差があるか,幾分かは伝わるものと思います。
そこで,ここでは実例を挙げて報道記事と公訴判決とを比較してみようと思います。

取り上げる事案は,平成11年に広島県で起こった幼児2名の虐待死事件。
被告人Aが,内縁関係にあった同Bと共謀して,Bの長男及び長女の幼児2名を相次いで虐待死させ,遺体を山中に遺棄したという事件で,昨年9月までにAは無期懲役,Bは懲役12年が確定しています。

[報道記事] MSN産経ニュース(2007年9月11日)
[公訴判決] 平成17年4月19日広島高裁判決(被告人Bに対する控訴審判決)

なお,原審(広島地裁)は被告人らの殺意を否定し傷害致死としたため検察が控訴し,控訴審(広島高裁)が原審判決を破棄。
Bについては懲役12年とし(上記判例),Aについては原審に差し戻しました。
被告人らは上告しましたが不受理となり,Bの懲役12年は確定。
Aの差戻審(広島地裁)では検察の求刑どおり無期懲役となったところ,Aが量刑不服として控訴。
差戻控訴審(広島高裁)が行なわれましたが控訴は棄却され,Aの無期懲役が確定しました。

いうまでもなく無期懲役は国内刑法においては死刑に次いで重い量刑な訳ですが,個人的には極刑をもってしか償えない罪悪であり軽すぎる判決だと思いました。
さて,みなさんはどう感じるでしょうか?

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